
ロードサイド等に大型店の進出によって人の流れが変わり、一時は閑古鳥の鳴いた第一牧志公設市場でしたが、1990年代になり、沖縄への観光客の数が増えたことで市場再生の突破口になりました。当時、那覇市に特別な観光スポットはなく、本島北部へ向かう観光客の通過点であり、離島へ向かう観光客の乗り換え地点に過ぎませんでした。そこで市場関係者は観光客を那覇市に足留めさせるため、公設市場を観光スポットにすることを検討しました。そのために、この市場を沖縄の生活文化が感じられる場所、沖縄文化の発信源として開発していこうと考えたんです」 さっそく、関係者は上海の市場を見学に行った。そこで見たのは、市場が観光スポットとして成立している現実であった。「市場では、観光客が買ったものを2階で調理してもらって、そこで食べていた。上海の市場で見たこの“持ち上げ方式”を、うちの市場にも取り入れようということになったんです」(市場関係者) 牧志公設市場が「観光客が訪れる市場」を目指して“持ち上げ方式”を始めたのは平成元年のこと。公設市場の組合だけではなく、県のコンテンツビューローや観光協会とスクラムを組み、官民一体となって乗り出した事業でした。そして、このシステムが大当たりしたんですね。市場といえば、その土地その土地の独自の食文化に触れられる場所ですが、観光客がせっかく美味しそうなものを見つけても、なま物なので家に持ち帰ることはできません。そこで「さあ、ここで今、食べていってください」というこのシステムは、まさしく観光客のニーズに応えるものでした。沖縄の海でとれたものが、その場で食べられることは、観光客の噂となり、今ではガイドブックにも掲載されるほどの観光スポットへと成長しました。何気ないサービスかもしれませんが、食べたい物を、その場で食べさせる。観光客は感動しますよね。